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マツコの知らない裁判官の世界を元名物裁判長・山室恵がレクチャーする! [芸能]

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6/28放送では、マツコの知らない裁判官の世界を元裁判官・山室恵がレクチャーする!


裁判官と聞くと、皆さんはどんなイメージを抱くのか?

果たして裁判官とはどんな人種なのだろうか?

スタジオゲストに元裁判官の山室恵を招き、マツコ・デラックスの知らない裁判官の世界を学ぶ。



<山室恵プロフィール>

山室恵.jpg

1971年大学在学中に司法試験に合格。
翌年に東京大学法学部を卒業。
1974年に東京地方裁判所に入所。
1997年には東京高等裁判所の判事に就任。
2004年に判事退官して弁護士に転向。


<山室判事の逸話>

1審裁判長に燃えた山室判事、昇進断り退官へ


1997年から6年半、東京地裁の刑事法廷で裁判長を務めていた。

裁判長の時には、オウム真理教元幹部やリクルート社元会長ら数多くの被告を裁いてきた“名物裁判長”と知られた人物である。

その名物裁判長、「東京地裁のエース」と言われた山室恵さんはさんはなぜ退官の道を選んだのでしょう。


その理由は「現場へのこだわり」だった。そして、「刑事裁判の醍醐味を若い人に伝えたい」と語っていたという。

通常、地裁所長の次は高裁の裁判長で、地裁の法廷には戻れない。

「公判をゼロから作り上げる地裁の裁判長ほど、やりがいのある仕事はない。かねてから1審の裁判長で思う存分燃焼し、その現場を去る時期が来れば辞めようと思っていた」と、山室判事は話していた。

1974年に任官。97年10月、4度目の東京地裁勤務で裁判長となった。

検察側、弁護側を問わず、内容の重複した証人尋問などには厳しく注意し、司法修習生らの居眠りをしかりつけるなど、法廷での逸話には事欠かない。

金属製クリップの先端で手のひらを刺すなどして、自らも眠気を催さないよう努めていた。

被告に判決後語りかける「説諭」など、法廷内での発言は特に有名だった。

東京高裁判事(当時)が起訴された少女買春事件では、初公判で「単なるロリコンではないか」としっ責。

「罪状から実刑は無理だった。裁判官のかばい合いと見られないよう、あえて厳しい言葉をかけた」と振り返る。



2001年に東京・三軒茶屋の駅構内で銀行員に暴行、死亡させた少年2人の判決公判では、懲役3―5年の不定期刑を言い渡した後、歌手さだまさしさんの歌「償い」を引き合いに反省を促した。

「コンサートで聴いて感動した曲で、刑が軽い分、心の底から反省してほしかった」と語る。



地下鉄サリン事件の実行犯の1人、林郁夫受刑者(57)は求刑通り無期懲役(確定)としたが、「他の実行犯に死刑判決が出るたびに悩んだ。無期でよかったのか今でも考えることがある」という。

「裁判官は世間知らず」という批判への危機感は強い。「黙っていると裁判官の誤ったイメージが定着する。声を出して反論していくべきだ」と、現役裁判官が外部に発言しにくい現状に疑問を示す。

退官後は弁護士も兼ねるが、裁判官を目指す人には「弁護士と駆け引きしながら、自分が刑事裁判を作り上げていくという意気込みを持たせたい」と語った。



現場への熱い思いを持つ元裁判官の山室恵さんは、マツコの知らない世界で、何を語ってくれるのか。楽しみですね。


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